「ほらほら、みんな集まって〜!ロニに手紙書くわよ〜!」 「は〜〜い!!」
家中に響くルーティの声に応え、子供達が一斉にテーブルへと集合してきた。椅子に座りきれなかった者は、それぞれ床に座ったり、木箱をテーブル代わりにして、ペンを手に取る。 「書き終わったら、いつも通り封筒に入れて、表に名前書くのよ?最後に母さんが、大きな袋にまとめて送るからね〜。」 言いながらルーティは、子供一人一人に白い紙を配っていく。財政難の孤児院では、紙の一枚といえども無駄にはできないので、一人に与えられる枚数は3枚までだ。沢山書きたい時は、文字を小さく書くなどの工夫をすること。それが、月に一度こうしてロニに手紙を書く時の、デュナミス孤児院での決まり事だった。
「ん〜と、『であ、ロニ兄ちゃん』っと…」 「バっカだな〜クレア!『であ』じゃなくて『ディア』だろ?ほんと鈍くさいよな〜クレアは!」 やんちゃ坊主が、まだ文字を覚えたばかりの少女をからかい始めた。うるうると、少女の目に涙が溜まる。
ぼか!!
「何言ってるのよ、トム!あんただって人のこと言えないでしょ!『Dare』じゃなくて、『Dear』。何度書き取りしたら、覚えるのよ!」 鉄拳を食らい、トムと呼ばれた少年は痛みに目を潤ませながら、仁王立ちで見下ろしてくる義母を睨み付けた。 「うるさいなあ〜!母さんのバカ〜!」 「なんですってえ〜!もう一度言ってみなさい、トム!」 「わああ〜!ごめんなさ〜〜い!!」
ドタバタと騒がしい部屋の中から、ガタリと、子供が一人、ドアから出ていく気配がした。
「あら、カイル。どうしたの?もう手紙は書き終わったの?」 ルーティの問いに、少し戸惑うような表情が振り向いた。 「いや、あの…オレさ…部屋で書いてくる。」 カイルは少しバツが悪そうに、重力に逆って四方に伸びる金色の髪を、ポリポリと掻く。そんな仕草が、彼の父であるスタンに、あまりにそっくりで…血は争えないものだと、ルーティはつくづく思う。 「またアンタは、そんなこと言って〜。いつも『元気ですか?オレも元気です。』くらいしか書かないじゃないの!あんなに仲良かったんだから、ちゃんとした手紙を…」 しかしカイルは、そんなルーティのお説教から逃げるように、素早く階段を上って行ってしまった。腕を組んで、「まったく…」と溜息をつく。
「最初の頃は、便せんいっぱいに手紙を書いていたのに…。」
2年前にロニがアタモニ神団に入り、聖都アイグレッテへ行ってしまってからというもの…ルーティには、時折カイルの考えていることがわからない時があった。 以前は、まるで脳味噌が存在していないのではないかと思う位…いや、我が子とはいえ、こんな表現は失礼なのかもしれないが…とにかく、思ったことはすぐに口にする子だった。何を考えているのか、どう感じているのか…深く勘ぐらなくても、容易に理解することができたのに。 思春期にありがちの、心の変化…と言ってしまえばそこまでなのかもしれないが、どうもそういう種類のものとは違う気がする。ある特定の状況以外でなら、やはりカイルは、いつものカイルなのだから。
ある特定の状況とは、どういう状況かというと…例えば今のように…ロニに関する何かをしたり、言ったりする時だ。 どんなに元気に話していても、ロニの会話が出た途端、表情が曇ったり、口籠もったりする。
ロニのアイグレッテ行きに関しては、自分や他の子供達だって、大きなショックを受けた。 ロニは…自分にとっては子供というより、一緒に孤児院を守ってくれる仲間だったし…子供達にとっては、父親代わりの頼れる兄だった。 しかしさすがに2年も経てば、人の心は変化する。別れの悲しみは薄れ、替わりに再会の日を楽しみにする気持ちや、手紙を書く喜びの方が勝っていくのだ。
それなのに、カイルだけは…まるで昨日ロニと別れたばかりのように、いつまで経っても、暗い表情を見せる。 いくら、孤児院の中で一番ロニと仲が良かったからといって…
「ねえねえ、お母さん、お母さん。」 スカートの裾を、くいくいと引っ張られ、ルーティは視線を下に降ろした。先程、トムにからかわれてベソをかいていたクレアだ。 「どうしたの?クレア。もう手紙書けたの?」 「うん。ねえ、お母さん…今度は、ロニ兄ちゃん、お返事くれるかなあ?」 「え?ああ…そうねえ…。」
ルーティは返答に困った。 毎度、手紙を書くごとに子供達から投げかけられる質問だ。この2年間、何通もの手紙をロニ宛に書いたが、一度も返事が返ってきたことはない。彼から届くのは、いつも味気なくお金だけが入った袋ばかりだ。 「お返事、くるわよ」という答えを期待して、大きな目で見上げてくるクレアの視線に負け、ルーティはしゃがんで目線を合わせると、笑いながら言った。 「そうね、来るといいわね。でもね、クレア。ロニから返事が無いのは、あんた達のこと忘れたからじゃないのよ?ほら、思い出してみなさいよ〜。あいつってば、いつも限界まで遊び回っちゃって、くたびれて寝ちゃうじゃない?今もきっと、毎日訓練、訓練で、机に向かう余裕ないのよ。第一、机に向かってるあいつの姿も想像できないしねえ〜?」 「そっかあ〜…。」 納得したような、できないような、複雑な表情をして、クレアは頷いた。
(まったくもう。こんなに心配かけて、親不孝なんだから…ちょっとくらい、連絡しなさいよね〜。)
今さらながら、ロニの存在の大きさを実感し、ルーティは心の中で、独りごちた。
「ちゃんとした手紙…か…。」
部屋に戻ったカイルは、持ってきた3枚の紙を机に置きながら、深く溜息をついた。 ランプを点ける気にもなれず、月明かりに照らされた部屋を見回すと、ゆっくり椅子に腰掛ける。
下の階からは、チビ達のはしゃぐ声が聞こえる。みんな、大好きな「ロニお兄ちゃん」に宛てた手紙を、目を輝かせて書いているのだろう。
最近起こった出来事を報告しているのかもしれない。 帰ってきた時には、こんなお土産を買ってきてと、お強請りをしているのかもしれない。
いずれにしろ、そんな風に屈託なくロニへの想いを書ける子供達が、カイルには羨ましかった。
『あんなに仲良かったんだから、ちゃんとした手紙を…』
去り際に母の言った言葉が、胸をキュッと締め付ける。
確かにカイルとロニは、他の子供達が妬むほどに、仲が良かった。 責任感の強いロニは、なるべく平等に全員と接するよう努めてはいたが…剣もまともに扱えないチビ達に比べると、やはりカイルとの方が、行ける場所や行動の範囲が広がってくる。自然と、二人きりで遊ぶ機会が増えるというものだろう。
…と、ここまでが、母や子供達の認識している、カイルとロニの関係。 しかし実際には、誰にも言えないもう一つの関係が、二人にはあった。
「ロニ…。」
窓の外を見上げると、満天の星空の中に浮かぶ、月が見える。 淡い光を湛えて夜空に佇むそれは、カイルに、愛しい人の姿を想い出させた。
そっくりだと、いつも思う。
神秘的な銀色の光は、あの人の柔らかい髪と、吸い込まれそうな瞳のよう。 静かに、優しく自分を包んでくる輝きは、あの人の暖かな腕のよう。 そっと…気が付けばそこにいて、自分を見守っていてくれる。
そんなロニに…とてもよく似ている。
だから、ロニが恋しくて、恋しくて、どうしようもなくなった時には…こうして月を見るようにしてきた。 2年間、ずっと…押し潰されそうになる不安と寂しさを、紛らわしてきた。
「…ロニ…ねえ…オレね…。」
上弦の形に傾いた月に、ポソリと話しかける。 けれど、月は何も答えてはくれない。 ロニのように、優しい声で応えてはくれない。 自分の想いを伝えることも…できない。
カイルは顔を伏せた。そこには先程の便せんが、月の光を帯びて、ぼんやりと暗い部屋の中に浮かび上がっている。 わかっている。 月に囁くのではなく…この手紙に想いを託すべきなのだということは。 だから以前はカイルも、ここにいっぱいの文字を記していたものだった。ロニはどんな返事をくれるだろう…いつ、ロニからの返事が届くだろうと、心を躍らせながら。
けれど…いつ頃からだろう。 この紙の上に想いを走らせることが、苦痛になり始めたのは…。
カイルはランプに火を灯し、ペンを手に取った。
Dear ロニ
ロニ、元気ですか?
オレは元気だよ。剣の練習も毎日してるし、もうロニよりも強くなってるんじゃないかな。戻ってきたら、勝負するのが楽しみだな。
孤児院は相変わらずボロくて、先週もまた床が一箇所抜けました。アレックスが家の中でなわとびなんかするから…あ、こんなこと、母さんがもう書いてるかも。
アイグレッテの町には、もう随分慣れたのかな。 時々、クレスタにもアイグレッテから来たっていう旅の人が来るんだけど、アイグレッテってどんなところ?って聞いたら、みんなすごく楽しいところだって言うんだよ。 収穫祭の時にやる村のお祭りよりも、もっともっと賑やかで、人が沢山いるんだって。
ロニの大好きな女の人も、たくさんいるんだろうな。きっと毎日毎日ナンパしてるんだろうね。クレスタじゃ、もうロニの相手してくれる女の人なんかいないもんね、嬉しいでしょ。
そうそう、みんな、ロニからの返事が来ないって、怒ってるよ。訓練で忙しいのわかるけど、少しでいいので、返事書いてあげてほしいな。
少しでいいから
それとも、もうクレスタのこと、忘れてるのかな。
アイグレッテは楽しい町だから、もうこんな田舎のこと、忘れちゃったのかな。
オレのことも
ねえ、ロニ
どうして何も連絡してくれないんだよ。
オレのこと、もう忘れちゃったの?
オレが子供だから、嫌いになったの?
都会の女の人って、そんなに綺麗なの?
オレ、どうしていいのか、わかんないよ。
もう…どうしていいのか、わかんないよ。
ロニ
会いたいよロニ。
会いたい
会い
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ポタリと、涙が一粒、便せんに落ちた。 文字がぼやけていくのは、インクの滲みなのか、視界を覆っていく涙のせいなのか…。 グシャグシャと乱暴に線を書き殴ると、カイルは便せんを掴んで丸め、床に放り投げた。
「うっ…うっ、うっ…う…!」
ベッドに倒れ込み、シーツに顔を埋めると、カイルは声を殺して泣いた。 いつも、そうだった。 ペンを取れば…文字を連ねれば、そこには後から後から、抑えようもなくロニへの想いが溢れてきて。
こんなこと、書きたくないのに。 ロニのこと困らせるだけだって、わかっているのに。
「ロニ…ロニ…。」
声で伝えられた方が、どれだけ楽だろう。
ロニ、頑張ってね 孤児院のことはオレにまかせて、思いっきり修行してね
そう言って明るい声を出す方が、きっと何倍も簡単なのに。
会いたい
ロニ
会いたいよ。
もう、オレ…どうしていいのか、わかんないよ。
「ロ…ニ…。」
決して応えてくれることのない、月の光に、今夜も囁く。 優しく自分を包み込む光に抱かれながら…ロニに抱かれながら…。
誰にも届くことのない想いを…カイルは小さな胸の中に、押し殺した。
Dear ロニ
元気ですか。
オレも元気です。
チビ達が寂しがってるので、手紙書いてやってください。
カイルより | |